兄の死 横田巌 始めがあり終わりある




兄の死は突然来ました。私が働いていた時に、母から電話があり、「寝てて起きて来ないから、見に行ったら死んでいた」と伝えられました。私は何を言われてるか分かりませんでした。


私はすぐに会社を出て、実家に着き、白い布団、白い布が顔にかけられた兄に直面しました。その顔の白い布を取るのは怖かったです。どんな顔で死んでいるか、、死を受け入れるのが怖かったです。顔は安らかで、死んで15時間経っても、冷たくなく柔らかで、その姿を見て泣けました。母を安心させる、安らかな死顔は、最後まで親孝行でした。所持金100万円は、葬儀に使い、沢山の花が兄を包み、天国のようでした。





次の日から、病院、区役所、警察署、保険会社、カード会社、携帯会社、駐車場、働いていた会社などの解約、精算、名義書き換えの連続です。葬儀会社との打ち合わせ、火葬場の日取りなど、死を悲しむ余裕のない日々です。家族で手分けしてやりましたので、納骨までには全ての手続きが終わり安堵しました。


突然の死。よくテレビのニュースで死んだのが信じられないと聞きます。私は兄の死を受け入れるのは早かったです。ただ、最後の会話は何だったのか、もっと話しておけば良かったという気持ちは強くあります。ただ、納骨までの50日、ほぼ毎日遺骨に祈り花を供えていましたから、もう充分会話をしたと思います。


振り返れば、兄とは45年一緒にいましたが、長男らしい責任感が強かった人でした。力強くリードするというタイプでなく、後ろから見守り面倒を見るタイプです。


兄の手続きをするため、財布、携帯電話、車などを全部見ましたが、今までの書類(給料明細、保険契約書、タイムカード)など1つの箱に入っていました。なぜ、こんなに取っているのかと思うほどです。憶測ですが、お金の場所のありか、保険解約の会社を知らせるためなのか。最後まで肉体的にも、精神的にも、考えられる全てをやり尽くしたと思われる痕跡でした。



兄の生き方を考えると、父と子供の時に釣りやキャンプをしたので、大人になってもその趣味は好きだったようです。また父が料理が好きだから、兄も人に料理を作るのが好きでした。仕事は祖父が設計をしていたから、鉄塔の設計を仕事にしていました。鉄塔一筋の人間でした。辛かったら辞めたら良いと思っていましたが、彼は弱音や不満は言わないタイプでした。携帯電話の写真から、仙台勤務では楽しそうだったので良かったと思います。50年の人生、楽しんで生きていたと思いますし、アルバムを見ても短い人生とは言えない思い出があります。


人生、始めがあり終わりがある。令和2年3月21日、寒かった冬も忘れるくらいの晴天。桜が満開の中、青葉園の墓地に、兄を埋葬できました。父の横に骨壺を置き、埋葬できました。父とたっぷり歓談していると思います。厳しい日本になってきましたが、生きている者は精一杯生きますので見守ってくれてると信じます。







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